ソニー、パナソニック、トヨタ――一体どうやったらこんな素晴らしい製品が作れるのだろう、その秘密を知りたいと強く思っていました。それが、来日した一番強い動機です。
グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回も日本ECサービスでシステム開発に携わっているZanabat Zumberel(ザナバト・ズムベレル)さん(ニックネーム:ズケさん)にお話を伺う。ズケさんが技術にのめり込むきっかけとなるPCをプレゼントしてくれた叔父さんは、その後も要所要所で彼にサポートの手を差し伸べた。
聞き手は、AppleやDisneyなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
阿部川“Go”久広(以下、阿部川) 大学卒業後、ウランバートルの税務・財務情報センターに就職されたのですね。どのようなお仕事をしていたのですか。
Zanabat Zumberel(ザナバト・ズムベレル、以下ズケさん) 税金を申告するためのシステムに関するソフトウェアの開発です。先ほどお話しした叔父が税務関連の仕事をしており、この就職先を紹介してくれました。
阿部川 1年後に、Setsen Systems(セットンシステム)に転職しますね。
ズケさん 情報センターの同僚が起業し、「一緒にやらないか」と誘ってくれたのです。同社の株式ももらえました。従業員7人の小さい会社でしたが、全員がソフトウェアの開発者でした。
そこでは、弁護士事務所向けの弁護士マッチングシステムを開発しました。法的な手続きのサポートが必要な個人と弁護士を結び付けるサービスです。
法的な手続きをするためには、法廷に行ったり、多くの法的な書類をそろえたりしなければなりませんが、一般の方にはその知識がありません。そのような個人のクライアントに、弁護士が必要書類や手続きなどをオンラインでアドバイスをするものでした。
阿部川 同時に国立人材派遣センターでも働いていますね。
ズケさん 国立人材派遣センターでは、「いつ、どの企業に、的確な人材を派遣すれば全体的に最適になるか」を、マップシステムと同期させたものを開発しました。この後、Dataland(データランド)という企業に転職し、上級開発者として仕事をしました。データランドは、最初に就職した税務・財務情報センターが、事業を拡大して作った会社です。
ズケさん その後、2023年の1月に来日しました。24歳になって、自分の殻を破ってみたくなったのです。仕事の同僚や家族や親戚が、国の外に出て行って戻ってくる。「そういえば自分だけがモンゴルから出たことがないなあ」と気づいて、そろそろ出ていかないとなあと思ったのです(笑)。
阿部川 他の国々にもエンジニアはたくさんいるのに、なぜ日本を選んだのでしょうか。
ズケさん 私は日本のブランドに囲まれて育ちました。ソニー、パナソニック、トヨタ……。これらの企業の製品は大変信頼性が高く、素晴らしいものばかりです。例えばトヨタの自動車は、他のどのメーカーの車よりも信頼できます。
一体どうやったらこんな素晴らしい製品が作れるのだろう、その秘密を知りたいと強く思っていました。ソフトウェア開発の分野でも、日本のエンジニアたちがどうやって開発しているのか知りたい、自分たちの方法とどのように違うのか知りたいと思ったのです。恐らくそれが、来日した一番強い動機だと思います。
阿部川 いつ頃からそのように思うようになったのですか。
ズケさん うーん、恐らく子どもの頃からだと思います。両親が「これは日本製だから良いに決まっている」と言うのを度々聞いていましたから。そして本当にそうでしたから。小さな頃からの刷り込みですね(笑)。
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