子どもの頃はインターネットカフェに行き、1台のPCを5人で借りて、1人15分ずつ遊びました。自分の順番が来るまでは、友人がゲームをする様子をじっと眺めていました。
グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回は日本ECサービスでシステム開発に携わっているZanabat Zumberel(ザナバト・ズムベレル)さんにお話を伺う。家庭でPCを持つことが珍しかった時代に、叔父のお下がりでPCをもらったザナバトさんは、最初はスタンドアロンで、次第にネットワークにつないでテクノロジーの世界にのめり込んでいく――。
聞き手は、AppleやDisneyなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
阿部川“Go”久広(以下、阿部川) ザナバトさんと呼んでよろしいですか。
Zanabat Zumberel(ザナバト・ズムベレル、以下ズケさん) 日本の方々はズケさんと呼びます。モンゴルの学校で友人たちが私をズケというニックネームで呼んでいたと伝えたところ、日本の皆さんもそう呼んでくれるようになりました。
阿部川 分かりました。では、ズケさんに最初の質問です。ふるさとについて教えてください。
ズケさん 私はモンゴルの首都、ウランバートルで生まれ育ちました。ウランバートルは、冬はマイナス32度まで気温が下がる世界で1番目ぐらいに寒い首都です。日本と同じように四季があり、夏は25度くらいになります。4月は1日で四季を経験できるぐらい寒暖差があります。
モンゴルの人口は350万人です。東京に来るまで「ウランバートルは人口が多い都市だなあ」と思っていましたが、実際は違いました(笑)。
阿部川 どんなお子さんでしたか?
ズケさん とても好奇心の強い子どもでしたが、内気なところもありました。恐らく70%は外向的で、残り30%が内向的といったところだと思います。友達と一緒にいることが一番好きでした。
阿部川 友達とはどんな遊びをしたのですか?
ズケさん 8歳から10歳くらいの頃は、インターネットカフェで遊んでいました。1台のPCを5人の子どもで15分ずつシェアして遊ぶので、自分の順番が来るまで、他の人がゲームをプレイする様子を見ていました。それはタダでしたから。でも自分でプレイするときには、お金を払わないといけません。チームで戦闘系のゲームを戦ったりもしました。
阿部川 それはけっこう外向的な活動ですね。内向的な面ではどんなことをしていましたか?
ズケさん 「NARUTO」や「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」などの日本製アニメをテレビで見ていました。遊戯王のカードも持っていたのですが、英語で書かれていて誰も意味を理解できなかったので、投げたり、日本のメンコ遊びのようなことをしたりして遊びました(笑)。
阿部川 得意な科目は何でしたか?
ズケさん 英語が得意でした。先生が「数学や物理も向いているのでは」と言ってくれましたが、実際は嫌いでした。英語の勉強を始めたのは、12歳か13歳の頃です。当時は、そのくらいの年齢で英語の勉強を始めるのが普通だったと思います。ただ現在は、恐らく幼稚園ぐらいから英語を勉強していると思います。
編集部 鈴木 モンゴルの方は皆、ズケさんのように上手に英語を話すのですか。
ズケさん それはどうでしょうか。正直分かりません。
編集部 鈴木 日本でも中学から英語の勉強を始めるのですが、なかなかしゃべれないんですよね。
ズケさん そうですかあ(苦笑)。私の場合は仕事関連の全てのドキュメントが英語で書かれているので、英語ができないと仕事ができないのです。英語が必要になったので自然に学べました。
阿部川 好きなスポーツは何でしたか?
ズケさん 小さい頃はそれほどスポーツが得意ではありませんでしたが、7歳か8歳くらいの夏休みにたまたまバスケットボールをやったら夢中になりました。今は全くやっていませんが……。モンゴルでは、フットボール、バスケットボール、バレーボールが有名です。
阿部川 相撲はそうでもないのですか?
ズケさん うーん、そんなに有名ではありません。
阿部川 2024年夏のパリオリンピックはご覧になりましたか?
ズケさん 見てはいませんが、モンゴルから柔道のチームが来ていたのは知っています。モンゴル人として見なくてはいけないもののようには思います。
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