外資系IT企業でマーケティング担当者として活躍してきた石渡達也さんが、生成AIを活用した失語症リハビリアプリの開発プロジェクトに取り組んでいる。その発端は、自身の悔しい経験にあった。
元IT企業のマーケターが、生成AI(人工知能)を使った失語症リハビリ支援アプリの開発を進めている。自己資金を投入し、財団の助成を受け、クラウドのスタートアッププログラムを活用するなど実現に向けて奔走してきた。本記事公開時点では、クラウドファンディングサイトで支援を募っている。
石渡達也さんは2020年9月、脳出血で倒れた。手術と治療は約2週間で一通り終わったが、その後に残ったのは右半身麻痺と失語症という2つの後遺症だった。リハビリ病院に移って5カ月の間、克服に専念することになった。
右半身麻痺のほうは、手も足もほとんど動かない。トイレに行くにも、車椅子への移動から介助を必要とする状態から始まった。
しかし運動麻痺よりも問題だったのは失語症だ。言われていることは十分理解でき、返答も脳の中では明確なのだが、言葉として出てこない。
「例えば日経新聞を読んで理解はできるのに、人に伝えることができなかった」(石渡さん)
簡単な日常会話はある程度できるのだが時間がかかる。また、「爪切り」と言おうとして「ホタルイカ」という言葉が口から出てしまうような、錯語と呼ばれる症状もあった。
話すことが大きな比重を占めるマーケティングという仕事を約20年やってきて、プレゼンテーションも得意だったのに、突然言葉が出てこない状態になった。これが大きなショックで悔しかった。
リハビリ病院では時間を運動療法から言語リハビリに可能な限り振り替えてもらい、残りの時間は自主練習に励むなど、懸命に失語症の克服を目指した。退院後も、Zoomで言語聴覚士によるレッスンを受けながら練習を続け、現在では自然に会話ができるようになっている。
その過程で痛感したのは、まず失語症が本人以外には理解できないものであること。周囲とうまくコミュニケーションができず、精神的にも追い込まれる。また、克服しようとしても練習の量と質を確保するのが難しい。
「多くの人たちが孤独な戦いを強いられている。テクノロジーの力でこれを変えられるはずだ」と思ったのが、このプロジェクトの発端だったという。
石渡さんは自身のZoomリハビリを受け持ってくれていたオンラインリハビリサービスの主宰者である多田紀子氏の協力を得て、Webアプリの開発を開始した。自らはプロダクトマネジャーとして、支援してくれる開発者たちとプロジェクトを進めている。多田氏には監修者として、オンラインリハビリのノウハウを提供してもらっている。また、このサービスは、多田氏の主宰するソーシャル企業「ことばの天使」を通じて世に送り出す。
サービス名は「Speech Link」。ChatGPTを使った自主トレーニングと、言語聴覚士による定期的な個別オンラインレッスンで構成し、練習の量と質を確保する。英会話アプリと同様に、場所さえ選べば恥ずかしい思いをせずに、いつでもどこでもどんな端末でも、発話の自主練習ができるようにする。
Speech Linkには2つのモードがある。1つは「宿題モード」。言語聴覚士によるレッスンでトークテーマを決め、次のレッスンまでに練習する。もう一つは「フリートークモード」。ChatGPTとの自由な会話だ。
このアプリでは毎日、ユーザーがやるべきことをAIが伝えてくれる。また、定期的なレポートで、自分の達成状況を把握できる。
開発は、スタートアップの世界では常識化しているやり方で進められている。「MVP(Minimum Viable Product)」、つまり最小限の機能を備えたプロダクトから始め、フィードバックを受けながら改善を行っていく。AIによるパーソナライズや宿題の高度化を、順次進めていきたいという。
失語症者は費用の悩みも抱えている。対面で頻繁にレッスンを受けたくても、レッスン料や交通費の負担は大きい。特に、仕事をやめざるを得なくなった人たちにとっては大きな負担だ。
このため、サービス料金の設定には悩んだ。運営コストは大きい。レッスンを行う言語聴覚士の人件費がかかるし、ChatGPTの料金もかさむ。だが、アプリとしての提供を通じて1人でも多くの人が救われるように、サービスを継続できる最低限の価格にしたという。
将来的には、より幅広い層に向けたサービスに育てていきたいと石渡さんは続ける。
「他の疾患や障害で言葉の悩みを抱えている人たちも多い。高次脳機能障害や発達障害などではコミュニケーションがうまくできず、パーキンソン病では発声が難しい。勉強をしながら、こうした人たちへのサービスも検討していきたい」
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