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「Counter-Strike」で強くなりたくて、サーバの勉強を始めたんだGo AbekawaのGo Global! ズケさん from モンゴル(前編)(2/2 ページ)

子どもの頃はインターネットカフェに行き、1台のPCを5人で借りて、1人15分ずつ遊びました。自分の順番が来るまでは、友人がゲームをする様子をじっと眺めていました。

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「Counter-Strike」がきっかけでサーバを立てる

阿部川 インターネットカフェ以外で最初に触れたPCについて教えてください。

ズケさん 10歳のぐらいの時に叔父がプレゼントしてくれたPCです。CPUは「Pentium 4」で、大きなモニターが付いていて、OSは確か「Windows 2000」でした。インターネットにつながっていないスタンドアロンだったので、Microsoftの「ペイント」ツールなどで遊びました。その後、ダイヤルアップでインターネットに接続できるようになり、少しずつ、PCの操作が楽しくなってきました。当時はネットにつなげること自体、珍しいことでした。

 私はラッキーだったと思います。当時のモンゴルでは家庭にPCがあることは珍しかったのですが、叔父がたまたま新しいPCを買ったタイミングで、古いPCを私にくれたのです。


PCと出会った頃でしょうか。賞状を手に誇らしげです

阿部川 そこからPCの世界にはまっていくのですね。

ズケさん エンジニアになろうと思ったきっかけは、中学時代に「Counter-Strike」というゲームにハマったことです。そのゲームには誰もが参加して互いに対戦できるサーバがたくさんあり、サーバの管理者は通常のプレイヤーよりも強かったのです。ゲームをもっと楽しむために管理者になりたいと思い、ネット中を調べて自力でサーバを立てることに成功しました。

 この頃から、ただゲームで遊ぶだけでなく、コンピュータサイエンスについて興味を持つようにもなりました。

父のアドバイスでエンジニアに進路変更

阿部川 その後、モンゴル国立大学に進学されますね。なぜこの大学を選んだのですか?

ズケさん モンゴルの受験制度は、高校の主要科目の入試試験の点数で行ける大学が決まります。最高得点は800点で、私は数学、物理学、生物学と英語で受験し、700点を獲得しました。モンゴル国立大学はモンゴルでもトップクラスの大学ですが、この点数があれば合格できると思い、選びました。

阿部川 大学ではどのようなことを学びましたか。

ズケさん 物理学者を志望していたので、最初は英語と原子物理学を専攻しました。しかし、卒業後の進路を父に相談したところ、「これからはソフトウェアのエンジニアが職業として有望だから、そちらに変えた方がいい」とアドバイスしてくれたので、コンピュータソフトウェアに専攻を変えました。モンゴル大学は途中で専攻を変更できる制度があるのです。

 父は私が小さい頃からPCで遊んでいるところを見ていましたから、そちらの方向がいいのではないかと思ったのでしょう。父のアドバイスに従ってよかったと思います。大学時代にはエンジニアリングもコンピュータサイエンスも学べました。



 叔父からもらったPCで技術の世界にのめり込んでいったズケさんは、大学でもコンピュータサイエンスを学んだ。後編は、ズケさんが日本で働くうちに突き止めた「日本の技術力の秘密」をお話しいただく。

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