タイの高校でプログラミング教育に奮闘した森見さん。ハッカソンで生徒の「作る喜び」を引き出し、自身も異文化理解を深めた2年間の軌跡――。
グローバルに活躍するエンジニアを紹介するインタビュー連載「Go Global」。森見真弓さん編の後編では、森見さんが、国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員としてタイで経験した2年間を深掘りしていく。
幼い頃から「ものづくり」にいそしみ、アイコムでエンジニア経験を積んだ森見さんは、長年の夢であった協力隊員としてタイへ渡った。異文化の中でプログラミング教育に奮闘し、学生たちの心を動かしたハッカソンの企画、そしてその経験を通じて得られた自己の変革について、詳しく見ていこう。
タイで森見さんが赴任したのは、中高一貫校の「プリンセス・チュラポーン・サイエンス・ハイスクール・ロッブリー校」である。
学校にはタイ人のプログラミング教師が3人いたが、日本人は森見さんだけで、全てのコミュニケーションがタイ語であった。日本で2カ月半、バンコクで1カ月タイ語を勉強してから赴任したが、当初は言いたいことも言えない状態だった。だが、自分一人で抱え込まず、周囲に頼ったり質問したりするようにし、同僚の優しさやアドバイスにも支えられ、徐々に話せるようになったという。
肝心のプログラミング授業は、当初予定されていたC言語からPythonへと急きょ変更になった。Pythonの経験がなかった森見さんは、タイ教育省のPDF教材で学習を進め、Python研修会に同僚と参加し、教材の誤りを見つけては修正もした。最初はティーチャーズアシスタントから始め、次第に日本語の授業やプログラミング部の指導にも携わるようになった。
だが、学生のプログラミングに対する興味は低かった。赴任先のロッブリー県は軍の基地が多く、軍医志望者が多かったことに加え、タイ全体で「理工学部には医者になりたい生徒が多く、化学や生物が人気で、プログラミングはあまり人気がありませんでした」と語る。
この状況を打開するため、森見さんはイベントの企画に乗り出す。
タイに派遣されたJICA隊員たちが集まり、学生がプログラミングに興味を持つためのアイデアをブレインストーミングした。そこで、以前プログラミングコンテストを開催したことがあるが、英語での発表能力が重視され、ものづくりが得意な生徒は埋もれがちだったという話を聞いた。そこで、「当日、会場でプログラムを書くスタイルであれば、真にプログラミングができる生徒が活躍できるのでは」と、ハッカソンを着想したのである。
半日かけてシューティングゲームの作り方を教え、2日目にUnityの専門家を招いて指導、その後3日間で各チームがゲームをアレンジして作り上げ、最終日に英語で発表する形式で実施した。参加者は各学校から代表3人を選出し、当日の朝バラバラにチームをシャッフルして「学校対抗ではない」立て付けにした。
初めてのハッカソンは大きな成功を収めた。
学生たちは「どんな面白いゲームを作るか」に注力し、徹夜でゲーム制作に没頭するほど楽しんでいたという。シューティングゲームなのに音ゲーになるなど、柔軟な発想を展開する生徒が続出し、その想像力とアレンジ力に隊員たちも驚いた。
入賞した上位3チームは副賞として、日本に渡航し、日本の高専チームと共に再びハッカソンを行う機会を得た。日本に行けなかった生徒たちも、友人たちが作ったゲームを楽しみ、新たな制作意欲につなげた。
タイの学生と日本の高専生が同じ部屋でゲーム制作をする光景は、森見さんにとって印象深いものだった。日本の学生が静かにプログラミングするのに対し、タイの学生はヘッドフォンを付けて歌ったりリズムを取ったりしながら開発をする。
また、日本の学生は「自分たちにはどんな技術があって、そこからどんなゲームを作れるかを考える」のに対し、タイの学生は「どんなゲームが面白いかを先に考えてから、では自分がどこまでできるのかを考えていた」というアプローチの違いがあった。
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