阿部川 高校生までエッサウィラにいて、進学で他の町に行ったんですよね。
アマルさん :はい。マラケシュにある工学系大学の準備クラスに3年間、その後、ラバットのINSEA校に進学しました。マラケシュはエッサウィラからバスで30分ぐらい、ラバットは電車やバスで8時間ぐらい離れています。
阿部川 マラケシュは、どんな町ですか? 世界中の人が行きたいと思っている有名な町じゃないですか。そこに何と3年間も住んでいたなんて。お勧めの場所はありますか?
アマルさん 一番有名なのは、ジェマ・エル・フナ広場です(jamaa funa)。広い広場で、屋外のレストランで伝統的な食事を食べられます。いろいろな人がいますし、猿もいます。猿はパフォーマンスを見せてくれるし、一緒に写真も撮れます。広場では、伝統的なハンドメイドのバッグやアクセサリーなどのお土産も買えます。
阿部川 すてきなところですね。でも、親元を離れるのは寂しくなかったですか?
アマルさん 大丈夫。エッサウィラの友達と同じクラスを専攻して、一緒に住んでいました。だから寂しくはなかったです。
阿部川 マラケシュで通ったのは工学系大学の準備クラスとのことですが、モロッコでは高校卒業後、すぐに大学には行かないのですか?
アマルさん モロッコの教育システムは日本と違います。中学校を卒業した後、科学、文学、芸術、技術の中から進路を選び、1年間勉強してから専門分野を決めます。私は数学を専攻しました。準備クラスでは、主に数学と物理学を学びました。
阿部川 なるほど。進路が決まってるんですね。その中で数学を選んだと。
阿部川 マラケシュで数学と物理学を学び、その後、ラバットのINSEA校に進学します。ここで統計学と応用経済学を学んだのですね。
アマルさん INSEA校は、モロッコでトップクラスの大学で、保険、金融、経済学、労働法学、数学を学ぶのに最適です。
阿部川 素晴らしい大学ですね。大学ではいろいろな研究をしたかったのでしょうか、それとも純粋に学ぶのが楽しかった? 将来何になりたいか決まっていましたか?
アマルさん 大学では、経済と統計、両方の分析とファイナンスのエンジニアリングを勉強し、統計学や数学的分析、論理的思考がどう使われるのかを学ぶのが楽しかったです。将来は、ファイナンスのエンジニアになりたいと思っていました。
阿部川 大学を卒業してから日本に来るまでに何年かありますが、卒業後は何をしていたのですか?
アマルさん 大学を卒業してから、いろいろな仕事をしました。1番長いのは数学の先生、その次はプロジェクト管理の仕事です。
阿部川 プロジェクト管理は建設会社でしていたのですね。具体的にはどんなことをしていたのですか?
アマルさん クライアントと連絡してインボイスの準備したり、プロジェクトのプロセスやデッドラインをチェックしたりするなど、プロジェクトの進行管理をしていました。
数学の先生は、ニュートンインターナショナル(NEWTON International)スクールで、中高生に数学を教えていました。1クラス15人ぐらいで、Aレベルのターミナルクラスと数学1と2と3を教えました。
風の町で生まれスークの町で学んだアマルさんは、統計学や数学に魅了され、大学卒業後に数学教師になる。後編では、彼女がなぜエンジニアになったのか、そして日本に興味を持った理由などをお話しいただく。
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