ハッピーになろうよ。
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プログラミング言語「Ruby」の開発者であり、日本を代表するプログラマーとして知られるまつもとゆきひろ氏(通称Matz)は、エンジニア志望者なら誰しもが憧れる“つよつよ”エンジニアの一人だ。
そんなまつもと氏も、小さい頃は「人と同じことができない」と叱られてきたという。“人と違う”を強みに変え、エンジニアとして成功した方法論を、「技育祭2025春」で、学生に語った。
「“つよつよ”エンジニアという表現があるようですね」とまつもと氏は切り出す。技術的な成果を上げた著名なエンジニアはそのように呼ばれ、憧れの的だ。
まつもと氏は「つよつよという言葉はなじみがない」ため「ネームド」(名付けられた)と言い換えた。ネームドとは、ゲームなどで、名前が付いた強い個体のこと。モブの逆だ。
ネームドエンジニアになるには、成果と認知度の両方が必要になる。「他者から評価され、名付けられて初めてネームドになる」が、まつもと氏の知る有名プログラマーたちで「ネームドになりたい」と意図して目指した人はあまりいないという。
「彼らは、やりたいことを一生懸命やり、その結果として成果を上げ、その成果のおかげで有名になりました。『狙っていない成功』です」
ネームドになる第一歩としてまつもと氏は、「インベントリ」の重要性を強調する。インベントリとは“棚卸し”のこと。自分を振り返り、個性や特性を探すことだ。
「何が得意で不得意か。何がモチベーションの源泉なのかを改めて考え、それが他の人とずれていればずれているほど成功確率が上がります」――好きなものが人と違うほど、ライバルが減るからだ。
「私は小学生の頃、『どうして人と同じことができないの?』と先生に怒られたことがあります。振り返ると、人と同じことができないのはかえって素晴らしいことでした」
まつもと氏がプログラミング言語を作ろうと思ったのは高校生の頃。同じ興味を持つ人は少なかったと振り返る。
「プログラミング言語を作るなんて普通じゃない」などの「心理的障壁」がなかったことが成功につながったという。「周りにプログラミングに興味のある友達がいなかったので、『普通の人は言語を作らない』という常識を持っていなかったのです」
人は無意識に「心理的障壁」を置いてしまう、とまつもと氏。「『ここから先は自分の領域ではない』と思うことが多いのです。心理的な壁を感じない人、感じても意識的に乗り越えた人は、ライバルが少ないし成功確率がグンと上がります」
最近Rubyコミュニティーで、構文解析器を生成するコンパイラ・コンパイラを自作した人を見て、まつもと氏自身も「コンパイラ・コンパイラは作るものではなく使うもの。自分の領域ではない」という思い込みがあったことに気付かされたという。
とはいえ、多くの人の興味は他の人と似ていて、ライバルは多い。そんなときはどうすればいいのだろうか。
「複数の領域の組み合わせによって、他の人のやらないようなことができる」と、まつもと氏はスティーブ・ジョブズの『Connecting the dots』を引き合いに解説する。「自分の経験や体験、興味をつなぐことによって新しいものが生まれる」と。
まつもと氏自身は、「心理学」「人間工学」「プログラミング」「言語全般」というドットを組み合わせ、プログラミング言語に興味を持った。
「農業とIoT(Internet of Things)」「医療とソフトウェア」「ゲームと心理学」など、ドットは人それぞれ。自分なりのドットを組み合わせていくことで、独自性のある領域が見えてくる。
まつもと氏は、成功確率を高める3つのスキルとして「言語能力」「英語力」「継続力」を挙げた。
言語能力とは、論理的に考え、表現する力だ。ニーズを言葉にして表現し、人々に伝え、仲間を集めるために必要になる。「コミュニケーションを避けていると成功はだんだん遠ざかるので、鍛えた方がいいでしょう。『ChatGPT』との対話も練習になります」
IT関係の新しい情報は英語で発信されることが多いため「英語ができるかどうかによって情報収集能力が変わってきます」とまつもと氏。英語話者のIT人口は、日本語話者より圧倒的に多いため、発信する際にも大きなアドバンテージになる。
そして継続力だ。「Rubyも公開まで3年、人気が出るまで10年かかりました。結果が出るまで時間がかかることが多いから、諦めない力が重要」だ。
一方で、成功が見えず、立ち直れないほどのダメージを受けそうな場合は見切りを付け、ピボットすることが重要とも話す。
最初の挑戦で得たスキルは、次の挑戦にも役立つため、悲観しなくていいという。「成功確率が50%だとして、5回やって5回とも失敗する確率(50%の5乗)は3%しかない」。
IT業界では、技術的に成功しても、経済的に成功するとは限らない。特にオープンソースソフトウェアは、使われても直接お金にはならない。
ただ「知名度が上がると、価値に変えることができます」とまつもと氏は言う。同氏は、Rubyの活動を支援するスポンサー企業からの寄付の他、講演料、原稿料、複数の会社での技術顧問料によって収入を得ているという。
「人前で講演するようなタイプではなかった」同氏だが、技術カンファレンスで話を頼まれたことがきっかけで講演活動を始め、それが報酬につながった。「基本的に頼まれたことを断らない」姿勢で、自分では気付かなかった可能性が広がったという。
「ビル・ゲイツほどお金を持っているわけではありませんが、不自由なく生活できるぐらいの収入を得られました。Rubyを作って言語デザインすることによって生活が成り立つというのは、私にとっては偉大な経済的成功です」
まつもと氏は生成AI(人工知能)時代をどう捉えているのだろうか。
「大規模言語モデル(LLM)は、怒らないし、飽きないし、機嫌が悪くならない。広範な知識を持っていて、かつ出しゃばらないから、教師にすごく向いています」とまつもと氏は評価。分からないことをすぐに教えてもらえ、しつこく聞き直しても怒ったりしないところが優秀だという。
一方で「ソフトウェア開発の楽しい部分のかなりの割合をAIに取られる危険性があります」と警鐘も鳴らす。「AIができるから、AIが得意だからといって何でもやらせるのは、人間にとって楽しい部分をAIに任せてしまうことになり、本末転倒なディストピアではないでしょうか」
かつて事務職の仕事がコンピュータ化されたとき、「PCで生産性がアップする」と言われたが、「仕事が楽になったという話はあまり聞きません。どちらかというとPCの奴隷みたいになっている」ことを引き合いに出す。
まつもと氏が最終的に強調したのは、「ハッピーになる」ことだ。
「ハッピーになる要素の多くをAIに取られてしまったり、上司を満足させることがゴールになってしまって自分はつらい思いをしたりするのは本末転倒です。
自分の特性や興味の方向を見いだして、心的な壁を乗り越えることで方向性を模索し、必要なスキルを伸ばし、AIを含めた道具を活用し、成果を上げ、知名度を高め、成功を得ることによってハッピーになることができる。これが大事です」
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