日本にとってインドが神秘の国であるのと同様に、インドにとっても日本はミステリアスカントリーだった。
国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。番外編として、インドのIT企業「HCLテクノロジーズ」(HCLTech)訪問記を2回にわたってお届けする。
2025年3月、メディアツアーとして、IT系各メディアの記者たちがインド ノイダにあるHCLTech本社を訪問し、AI(人工知能)ラボ、AIoTラボ、デリバリーセンター、日本向けプロジェクトのデリバリーセンターなどを取材した。今回は、その中でも筆者が特に興味を持った、日本向けローカライズユニット「JLANS」(Japanese Language Services)を紹介する。
インドに本社を置くHCLTechは、1976年創業。8ビットコンピュータの開発から始まり、ハードウェア、SI(システムインテグレーション)、ソフトウェアと分野を拡大し、現在では、世界のシステムインテグレーター時価総額ランキング6位(2023年度)、世界60カ国に220の拠点を持ち、22万5000人以上の従業員を雇用するグローバルテクノロジー企業だ。
日本との歴史も長く、1998年に「エイチシーエル・ジャパン」を設立。27年間にわたり、ITおよびエンジニアリングR&D(研究開発)サービス分野でさまざまな業界のデジタル化を支援してきた。
現在では、日本国内の従業員数750人以上にまで成長した同社だが、その道のりは容易なものではなかったようで――。
HCLTechが日本に上陸したのは、1998年のこと。先んじて展開した米国や欧州では比較的早く成長できたため、同じサービスや専門技術を提供すれば日本でもスムーズに発展できると当初は考えていたが、なかなか軌道に乗らなかった。JLANSのOperations Directorはその理由を、「独特の言葉と文化」にあったと分析する。
「日本市場に参入した頃、私たちは日本文化を理解できず、日本側の事情を無視してしまうことがしばしばありました。例えば、日本の企業がなぜ提案の承認を迅速にしてくれないのか理解できず、速やかに承認してくれるよう強く要求することがありました。しかし日本には日本の事情があるのですね。私たちは、日本には『根回し』というプロセスがある、意思決定に時間がかかる、ということを徐々に知りました」
こういった文化的な違い、言葉の壁、そしてビジネス習慣や交渉の仕方の違いがあることを理解したHCLTechは、それを乗り越えるために日本語専門家のユニット「JLANS」を2001年に設立した。
JLANSは、日本語の専門家が日本向けプロジェクトにさまざまなサポートを提供する組織だ。翻訳、通訳、さまざまなトレーニングプログラムを実施しており、メンバーのほとんどは、インドの一流大学の日本語学科を卒業した日本語の専門家だ。ノイダ、チェンナイ、バンガロール、プネに拠点があり、設立以来多くの大規模プロジェクトを実施し、年間700人月分の翻訳を実行している。
JLANSのメンバーは、カメラやプリンタ、テレビや自動車など、さまざまな分野の専門用語の知識を持っており、大規模なデータベースもある。
その日本語能力を生かして、RFP(提案依頼書)、提案書、仕様書や設計書、コードのコメントやテスト項目などを翻訳し、電話会議やビデオ会議、顧客がオフショア拠点を訪問する際の通訳などを行う。
文書を翻訳する際は、単に日本語を英語にするだけではなく、さまざまな「最適化」が施される。日本の顧客から預かった全ての文書の内容を読み込み、複雑さを判断し、ファイルのフォーマットや形式などを確認し、プロジェクトで使用する専門用語を統一化し、専門用語のリストを作成する。専門用語のリストやチェックリスト、ガイドライン、スタイルガイドなどに沿って翻訳し、用語リストを更新する。このように細やかな「気配り」で、アウトプットが洗練されていく。
翻訳や通訳だけではなく、コミュニケーションチャネルの構築、日本文化の理解など、プロジェクトを円滑に行うためのさまざまなサポートも実行し、日本の顧客とインドのプロジェクトメンバーのギャップを最小限に抑えるよう努めている。
JLANSでは、日本向けのプロジェクトに従事するインドのエンジニアたちに、日本に特化したさまざまなトレーニングプログラムを実施している。トレーニングの主な目的は、インドのエンジニアたちに、日本の顧客と仕事をすることに対して自信を高めてもらうことと、トレーニングを受けたエンジニアを配置することで、日本の顧客に安心感を提供することだ。
トレーニングは、基礎の日本語トレーニングと、日本文化認識プログラムの2種類がある。
基礎日本語トレーニングを受けたエンジニアたちは、買い物で値段を聞いたり、日にちや時間、道順などを尋ねたり、日本で生活していけるレベルの日本語を話せるようになる。日本語を学びながら、ビジネスマナーやエチケットなど、文化的な洞察も学ぶ。
「日本語トレーニングでは、基礎の日本語を応用してIT業界でよく使う文章を学びます。例えば、『お水をください』という文章から『○○をください』のパターンを学び、『ファイルをください』『データをください』へと応用します」
チューニングプログラムでは、自己紹介で使うフレーズや、電話会議でよく使われる表現など、さまざまなビジネス場面でよく使用する典型的な表現やフレーズも学習する。
これらのトレーニングで日本語の勉強に強い興味やコミットメントを持っていると判断されたエンジニアは、日本語学校でより高度な日本語を学習し、さらにスムーズなコミュニケーションを取れるようになる。
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