父母からは論理的思考を、叔母からは信頼を教えてもらった:Go AbekawaのGo Global! パトリックさん from カメルーン(前編)(3/3 ページ)
父は、論理的思考を刺激する遊びを勧めてくれました。母はさまざまな質問で私に考える習慣を育んでくれました。
母が教えてくれたデルのPC
阿部川 カメルーンの教育制度はどのような仕組みなのでしょうか。
パトリックさん カメルーンの教育システムはフランス語のシステムと英語のシステムの2つに分かれおり、英語のシステムは日本の教育制度に近いものです。フランス語のシステムは、入学は簡単ですが卒業が難しいという特徴があります。高校最終学年に国家試験が2回あり、それに合格しないと卒業できません。私も17歳と18歳の時にこの試験を受けました。
高校時代は勉強以外にも、サッカーや陸上競技などにも熱心に取り組みました。また、クラスメートと一緒に自主的に勉強会を開き、放課後に10人ほど集まって、お互いに助け合いながら演習問題に取り組みました。先生に指示されたわけではなく、自発的に集まっていたのです。
阿部川 PCを学び始めたのはいつ頃ですか。
パトリックさん 初めてPCに触れたのは、10歳ごろでした。母の職場であるドゥアラ高校のPCで遊ばせてもらっていたのです。当時はMicrosoft Wordの操作など基本的なことしかできませんでしたが、母に教えてもらいながら学びました。デルのPCだったと記憶しています。
本格的に勉強を始めたのは16歳ごろからです。放課後、高校のクラスメートと一緒にコンピュータ室を借りて、Webサイトの作成やプログラミングの演習をしました。私は文系の学生だったのにPCが一番得意で、自主的に学習し、プログラミングが自然と好きになりました。
阿部川 当時、エンジニアになることを考えていましたか?
パトリックさん いいえ、当時はジャーナリストや哲学者になりたいと思っていて、プログラミングはあくまでも趣味でした。しかし高校最終学年で自分の適性を見直した結果、数学やプログラミングの方が向いていると感じました。
そこで工学系に進むことを決め、ドゥアラ大学で数学とITを専攻し、その後米国のPurdue Global(パデュー・グローバル大学)でソフトウェア開発の学位も取得しました。現在はドイツのInternational University of Applied Sciences(応用科学大学院)で修士課程に在籍しています。
阿部川 修士課程と仕事の両立は大変でしょう。学費はどのように賄っているのですか?
パトリックさん ドゥアラ大学までは叔母が支援してくれましたが、今は自分で賄っています。時には本当に大変ですが、とてもやりがいがあります。
フランス語と英語で学び育ったパトリックさんは、大学卒業、あえて未知の言語「日本語」で学ぶ道を選ぶ。後編では、パトリックさんが日本語で語る「エンジニアに持ってほしい気概」を紹介する。
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