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どこでも生き抜けるスキルを身に付けるには、ボーイスカウトが最適Go AbekawaのGo Global! シンさん from 香港(前編)(2/2 ページ)

正直に言うと香港は、狭くて、暑くて、湿度が高い場所です(笑)。

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高校時代から使い続けているメアド

 勉強は苦手だったものの、地理とPCには強い関心を持っていた。

 だが、高校進学以降、地理を学ぶことはなくなった。香港では高校入学時に勉強する分野を選ぶシステムがあり、地理は人気の分野で成績の良い人が優先的に選べるため、成績が普通だったシンさんは地理を学べなかったのだ。

 「地理は結構好きなのに勉強できなくなって、ちょっと悔しかったです」――シンさんは、悔しさをにじませながらも、もう一つの好きな分野だったPCに没頭するようになる。

 PCとの出会いは8歳頃、父親がPCを購入し、それを借りてブラウザゲームで遊んだのがきっかけだった。そこからPCそのものに興味を抱き、自分で部品を集めてPCを組み立てるほどになったという。

 高校のPCの授業でHTMLなどのWebサイト作成を学び、「日本に行ってPCの面白いのを勉強しようかなと思うようになりました」と、将来の方向性が固まっていった。彼が現在も使用している「Hotmail」のメールアドレスは、その頃から20年近く使い続けているものだというから、PCへの深い愛着が伺える。

死ぬほど頑張りました

 高校卒業後、シンさんはすぐに就職せず、約半年間、エアコンの設置、修理業を個人で営む父親の仕事を手伝い、日本留学の費用をためた。

 日本への留学を決意したのは、高校生時代に日本の留学イベントを見たことがきっかけだった。日本のアニメやゲームが昔から好きだったため、日本の生活を体験したいとも思い、来日したと語る。

 当初は日本語学校を卒業したら香港に帰国する予定だった。だが、日本での生活が予想以上に楽しくなったため、日本の専門学校に進学し、ゲームの仕事ができるよう勉強に励むことを決意したという。日本語学校では「日本語能力試験N2取得のために死ぬほど頑張りました」と、当時を振り返る。その努力は、現在の流ちょうな日本語にも表れている(編集部注:取材は全て日本語で行いました)。

 シンさんはその後、ゲーム業界で名高い専門学校「HAL東京」に進学を決める。学校見学で「学校も真面目だし、サポートもしてくれるらしいと分かった」ことが決め手だったという。


HALに通っていた頃。学校の近くにある「譚仔三哥(タムジャイサムゴー)」の辛い香港麺とレモンティーがオススメとのこと

 HAL東京で4年間を過ごし、多岐にわたる知識と技術を習得した。1年次には、基本的なプログラミングやPCの知識、HTMLといった比較的分かりやすい分野を学び、基礎を固めた。2年次からは「DirectX」などのゲーム用のプログラミングへと専門性を深め、3年次には「Wii」や「シェーダー」といったより高度で深いゲーム技術を学んだという。

 最終学年である4年次には、集大成となる卒業作品制作と並行して就職活動に注力した。特に力を入れたのはチーム制作だったと語る。「Unity」を用いた3Dの謎解きホラーゲームを、10人ほどのチームで半年間かけて制作したというから、その規模の大きさがうかがえる。日本のコンテストにもエントリーしたが、テーマから外れていたために最初の審査で落選してしまった。だが、力を入れて作った経験を「面白かったです」と語り、大きな達成感を得たという。チームでのものづくりから得られた経験は、彼にとって貴重な財産となった。



 シンさんの日本での学びは、自身の情熱を具現化する土台となった。後編では、卒業後の空白期間、就職活動の困難、そして現在のOGIXでの活躍を伺う。

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