検索
連載

第301回 新世代車開発を1年短縮するというArmの新プラットフォームは「SDV」から「AIDV」へ その実力は?頭脳放談

クルマが、スマートフォンのようにソフトウェアのアップデートで機能を改善したり、追加したりできるようになるという。こうしたクルマは、「SDV(ソフトウェアデファインドビークル)」と呼ばれる。SDVを支える技術として、当然、車載向けプロセッサが存在する。この分野でもArmが攻勢を強めている。Armの強さはどこにある?

Share
Tweet
LINE
Hatena
クルマのスマホ化「SDV」もArmにお任せ?
クルマのスマホ化「SDV」もArmにお任せ?
クルマが、スマートフォンのようにソフトウェアのアップデートで機能を改善したり、追加したりできるようになるという。こうしたクルマは、「SDV(ソフトウェアデファインドビークル)」と呼ばれる。この分野でもArmが攻勢を強めている。Armの強さはどこにある? 図はArmのプレスリリース「Arm Zena CSSが、自動車メーカーによるAIデファインド・ビークルの市場投入を1年早期化」より。

 頭脳放談「第300回 Arm優勢の車載マイコン市場に現れたライバル、RISC-Vはゲームチェンジャーになるのか」では、RISC-V対Armという構図の中であったが、車載分野のプロセッサへの要求についても簡単にまとめてみた。

 結論から言えば、各自動車メーカーの「差別化ポイント」ではない、「共通な前提条件」的な部分にかかる開発リソースをいかに削減してくれるかが現段階でのキモではないか、というようなことを書かせていただいた。

 そのときはRISC-V側が急速に体制を整えつつあり、数年すれば先行するArmを捕捉するかもしれないということを書いた。と思ったら2025年6月に入ってArmから新たな車載コンピューティングサブシステム「Arm Zena CSS」というものについての発表があった(Armのプレスリリース「Arm Zena CSSが、自動車メーカーによるAIデファインド・ビークルの市場投入を1年早期化」)。

 一言でまとめれば、上から下まで全部をArmに任せれば、開発期間を1年短縮できるという感じである。Armは「AI(人工知能)デファインドビークル」という言葉を使っているが、これは一般的に「SDV(ソフトウェアデファインドビークル)」と呼ばれるクルマのことだ。SDVといったら何らかの形でAIは多用されているはずなので、魔法の言葉「AI」を強調している印象も受ける。

SDVってどんなクルマ?

 まずはSDVについて考えてみよう。SDVというと自動運転車に搭載されているAIを使った高度なコンピュータの機能を、OTA(整備工場に入庫することなく、無線通信によりソフトウェアを書き替える技術)を使って更新できる車である。先端の高級車から普及してくるであろうというイメージだ。

 しかし、大分前から多くのクルマ(筆者が乗っているような大衆車も含む)は、要素技術的にはSDVに近いものを既に持っているのではないかと思っている。実際、ちょっと不具合があってディーラーに車を持ち込んだ際、行った作業といえばECU(Electronic Control Unit:電子制御ユニット) のファームウェアの更新であった。

 ほとんどのクルマにはCAN(Controller Area Network:搭載されているECUやデバイスなどを相互に接続できる通信プロトコル)バスのコネクターが搭載されているから、エンジニアはそれに作業用の端末を接続して、MCU(マイクロコントローラーユニット)のフラッシュメモリに格納されているプログラムにパッチを当てるだけであった。

 一方、クルマには携帯キャリア経由でのネットワーク通信機能が備わっている。つまり、通信経由でのファームウェアへのパッチ当てのようなことは「やろうと思えば」できそうな状態にあるわけだ。現状は諸事情(書き替え中は運転動作ができないとか、通信経路の帯域が狭いなど)があって工場に車を持ち込んでいるにすぎない。

 また、既に車載カメラが先行車を認識していて、プログラムがブレーキやらハンドルやらを「アシスト」してくれる程度のこともできている。SDVで語られているような要素機能は、既に最近のクルマは装備しているのだ。

 これが、SDVあるいはAIデファインドビークルと胸を張って主張できるためには、いかにもAI的な機能で車の各部を統合して華々しく制御できている必要があるだろう。しかし要素技術のレベルはまだ低いかもしれないが、既に「大衆化」している。あと一歩の段階だろう。

安全基準をクリアするには多くの作業が必要になる

 SDVあるいはAIデファインドビークルに乗る上で心配になるのが、安全性である。OTAでファームウェアを書き替えたら制御に失敗して衝突してしまったとか、通信回線からウイルスを送り込まれて乗っ取られたとかそんな事態にはなりたくない。当然、自動車関係者はISO 26262(機能安全)、ISO 21434(セキュリティ)などの国際規格を制定し、開発プロセス自体を制御しているというわけである。

 ただし、規格準拠と言えば簡単だが、実際に開発する側は大変なのだ。大昔、車載関係の安全規格対応のチップの責任者になって大変な目に遭ったことがある。担当したのは安全性にあまり影響のない部品に使う小規模なICチップだった。それでも、車載の安全規格を通すとなるとやることが多い。必要な評価項目、検査項目などが多くなるのはもちろん、それより何より書類の作成、内部のレビュー、そして第三者の監査と会議に明け暮れる毎日だった。それに費やす工数は膨大だ。慣れない規格に通常の何倍かの設計期間がかかった記憶がある。

 そういう規格対応は、みんなが同じレベルをクリアしているという話にしかならないので、製品の差別化要素にはならない。といって、規格を通さずには車載向けに販売できない。つまり、これらのコストを削減し、開発期間を短縮できれば大きなメリットとなる。

ハードウェアとソフトウェアを並行して開発するには

 また、現代のシステムでは、ハードウェアよりもソフトウェアの占める割合が大きくなっている。昔はハードウェアができてからソフトウェア開発とシリアルな順番だったが、今はハードウェアとソフトウェアを並行して開発することで全体期間を短縮する方法が普通になってきていると思う。

 ハードウェアの開発自体、シミュレーター上で物理モデルを動かすような方法を使っているから、プログラム開発もそれと連動したいのは当然だろう。そんなときに、プログラムを実行可能なモデル、そしてその上で動く共通ソフトウェア部品(当然、規格対応済)が一括で提供されれば、メーカーの開発はその上の層だけで済み、リソースが節約できるというものだ。「事前検証および安全認証済みのコンピュートプラットフォーム」というArmの誘い文句が魅力的なのはそういうところなのだ。

 そういった、「各社の共通する部分」を支えるハードウェア(プロセッサなど)とソフトウェア(セキュリティ用のファームウェアなど)をまとめてワンストップで面倒を見ましょう、というのが「Arm Zena CSS」の本質のようだ。

上から下まで充実しているArmならワンストップで提供できる

 これの中心には、Cortex-A/R/Mのプロセッサ群が座っている。最上位のAIの中心に推されている「Cortex-A720AE」、ミッションクリティカルな実時間制御とセキュリティを支える「Cortex-R82AE」、そして各部の小システムを個別に制御する「Cortex-M」の車載MCU、といった構成である。

 「ハードウェアとソフトウェアを個別にあれこれとチョイスするよりも、ワンストップショップで丸ごと手に入れてしまった方が工期短縮やリソース削減が可能である」という主張だ。上から下まで充実しているArm陣営らしいやり方ではないだろうか。

 実際、個別にチョイスして手に入れたハードウェアとソフトウェアの場合、まずはつなぎ合わせて動作させるだけでも通常は工数がかかるので、その辺がなくなるのはありがたいかもしれない。そしてコストを削減できた分のどれくらいの割合かは分からないが、Armと関係するサードベンダーなどにお金を支払うことになる。ただ、ここの比率が多過ぎると売れないだろうから、リーズナブルな金額なのだろう。

 十分な開発力とリソースがある自動車メーカーであれば、そんなものは既に整っているからArmの丸抱えにならないでもよい、と考えるかもしれない。しかし、「開発リソースが足りない」あるいは「出遅れている分野がある」などと感じているメーカーならば、この際、Armに任せてしまおう、となるかもしれない。

 Armのプレスリリース「『Arm Zena CSS』の全貌:AIデファインド・ビークル向けの演算プラットフォーム」の最後には、『自動車の未来を決めるのはAIです。そして、自動車の演算プラットフォームは、Arm上で構築されます』と、自信に満ちたArmのコメントが記されていた。この言葉が本当かどうかは、数年もすれば明らかになるだろう。

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。


Copyright© Digital Advantage Corp. All Rights Reserved.