キックオフ? やってませんよ。あれは単なる“お打ち合わせ”です:「訴えてやる!」の前に読む IT訴訟 徹底解説(62)(2/2 ページ)
キックオフもしたし、メンバーも調達したし、作業も着手している。なのにプロジェクト延期だなんて、許せない!――IT訴訟事例を例にとり、システム開発にまつわるトラブルの予防と対策法を解説する人気連載。今回のテーマは「契約前作業」だ。
ナンバーワンでもオンリーワンでもなかった
判決の要旨を見てみよう。
東京地方裁判所 平成17年3月28日判決から(続き)
(キックオフミーティングについて)インターネット接続業者は、単に「7月11日のお打ち合わせ」と呼んでいたのであり、特別な意味を与えた形跡はない。
(中略)
インターネット接続業者の重要な責任者が出席していないし、出席を求めた事実もうかがわれない。
(中略)
(契約の条件について)、インターネット接続業者が開発ベンダーに対して要望を取りまとめたリストを渡したというだけでは、本件システムの内容について合意があったことは認め得ない。また、請負代金についても開発ベンダー担当者が「ざっくり4000万くらいではと想定しております」とメールで伝えたのみであって合意がない。
(作業着手の黙認について)、7月11日以降の作業が有償だという説明はなかったし、7月11日以降、「SA工程」と呼ばれる作業に着手していたとしても、インターネット接続業者の側において、その作業が有償であると認識していたというには疑問が残る。
裁判所は、ベンダーが主張する契約成立の論拠を否定し、さらに以下の事象も述べてベンダーの訴えを退けた。
- インターネット接続業者は複数のベンダーの提案を比較して(委託先を)判断するという前提になっていた(当該開発ベンダーに決めていたわけではなかった)
- インターネット接続業者が明確に開発ベンダーに発注すると発言したことはない
- 開発ベンダーがインターネット接続業者に契約書のサンプルを送り、覚書の締結を提案しているにもかかわらず、結局、両者で何らの合意文書も作成されなかった
契約成立を主張するためにやるべきこと
裁判所の判断を見ると、ベンダーの勇み足というか手前勝手さを否定できない。正直、ベンダーの営業担当者は、反省すべき点が多いと思う。
逆に本件を反面教師にすると、契約成立を主張するためには下記の実施が必要だと分かる。
- ユーザーからの要望を受け付け、実現可否について回答する
- 費用については概算レベルでも合意しておく
- 競合がいないことを確認しておく
- ユーザーの発注意思を確認し、できれば覚書程度は取っておく
- キックオフミーティングには必要メンバーに集まってもらい、その後に行われる作業は有償であることをユーザーに承知してもらう
もちろん、そもそも契約を交わす前の作業など行うべきではない。
しかし、金額など諸条件の細かいレベルの調整が必要で正式な契約に時間がかかることはままあるだろう。その場合は「仮の発注」といった形で作業着手することもあると思う。
その際には本連載などを参考に、「最低限やっておくべきこと」を整理して仮契約に挑んでほしい。
細川義洋
政府CIO補佐官。ITプロセスコンサルタント。元・東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員
NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。
独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまで関わったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。
2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わる
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