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2年超も仕様が確定しないのは、ベンダーの責任か?「訴えてやる!」の前に読む IT訴訟 徹底解説(10)(2/2 ページ)

システム設計書を提出しても、プロトタイプを作成しても、どうしても仕様を確定させてくれないユーザー。この契約、解除しても大丈夫?

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【裁判所の判断】(東京地裁 平成22年7月22日判決より)

 要件定義を確定する工程は、「注文者(ユーザー)の要求をまとめる工程である」と定義されるとおり、注文者側の意向によってその内容が決せられることになるのであるから、どのような内容のソフトウェアの開発を望んでいるかを提示、または説明する責任は、注文者側にそのような能力がないことが前提になっているなどの事情がない限り、注文者側にあるというべきである。

(中略)

 (ユーザーが)新たな要求事項を追加するなどして、本件ソフトウェアの要件定義を確定させようとしなかった上、ベンダーからされた追加費用の負担の提案にも一切応じようとしなかったことに最大の原因があると考えられる。そうだとすれば、ベンダーに債務不履行の原因があるということはできないというべきである。

※( )内は筆者加筆

 裁判所の判断は「要件定義の責任は注文者にある」として、ユーザーの訴えを退けるものであった。至極当然といえる判決である。

要件定義の責任は、原則ユーザーにあるが……

 しかしながら、この判決には注意したい文言が含まれている。「注文者側にそのような能力がないことが前提になっているなどの事情がない限り」という部分だ。「要件定義の責任はユーザーにある」と言い切るためには、ユーザーに要件定義を行うだけの能力があることが前提だと言っている。つまり、ユーザーに十分な要件定義能力がないことが明らかだったら、ベンダーにも専門家としての一定の責任があるということだ。

 前回取り上げた訴訟事例は、処理の速度について特に要求がなく要件としても定義しなかったが、出来上がったシステムが遅すぎて使い物にならないというものだった。ベンダーは「要件として定義されていない以上、自らに非はない」と主張したが、裁判所は「(業務の生産性を向上させるという)契約の目的に照らせば、(ユーザーからの要求がなくても)ベンダーが考慮して開発すべきだった」との判断をしている。また別の訴訟では、数千人のユーザーが同時にアクセスすることが前提のシステムに排他制御を具備していないことは(たとえそれが要件として定義されていなくても)ベンダーの責であるとの主趣旨の判決が出ている。

 処理速度も排他制御も、ユーザーのシステム開発経験が少なければ、必要性に気付かなかったとしても仕方ない。そうしたことは専門家であるベンダーが定義するか、あるいはユーザーに相談を持ち掛けるなどしなければならない、とする判断だ。

 専門家でないと分からない技術的な機能要件や異常系への対応、運用・保守にかかる機能要件、それに速度やセキュリティなどの非機能要件など、ITの高い専門性を要するような要件については、やはり専門家であるベンダー側の責任で決め込んでいかなければ、現実的にシステム開発はできない。

 そもそも要件として何をどのように決めなければならないのかを、しっかりガイドする必要があるというのが、数々の判決から透けて見える裁判所の考え方だ。「注文者側にそのような能力がないことが前提になっているなどの事情がない限り」との言葉には、そうした意味合いが含まれていると筆者は理解している。

裁判所が考える要件定義のベンダー責任

 では、要件定義時にシステム開発の専門家としてユーザーに求められる責任を裁判所がどのように考えているのか。次回以降も具体的な事例を出して説明していきたいと思うが、今まで出た判決からは、おおよそ以下のようなことが求められていると考られる。

  1. 要件として何を定義すべきなのか、ユーザーにガイドする
  2. 必要な時期までに要件が確定しない場合のリスクをユーザーに説明する
  3. 要件定義に必要な情報をユーザーに提供する(要件の調査に必要な工数など)
  4. 要件が契約の目的に対して必要かつ十分であることを確認する
  5. 専門家でないと分からない技術的な要件を定義する
  6. 要件の追加・変更要望について、プロジェクト計画や契約の目的に照らして吟味し、場合によっては断る
  7. 要件の追加・変更要望があった場合には、追加費用の見積もりを提示する

 実際のところ、これらの責任をベンダーが全て果たしているといえるプロジェクトは少ない。しかし今までの紛争事例を見る限り、もし全てできていれば、ベンダーが紛争事例に巻き込まれても、不利な判決を受ける確率は大幅に減るだろう。

 とはいえ現実には、これらをためらうベンダーも少なくないだろう。「3」についてはユーザーに対して随分と過保護な感が否めないし、「4」についてもユーザーの責に見える。しかし、この手間を惜しんで正しく要件が定義できない場合の不利益や、これらを行うことでユーザーから得られる信頼を考慮すれば、多少やり過ぎと思っても、それを上回るメリットがベンダーにはある。

 「6」や「7」については、ユーザーが「お客さま」である以上、言い出しにくいという事情もあるだろう。しかし、事実としてこのような判決が出ている以上、こうしたことを行うのは、ベンダーの「義務」であり「権利」である。前述した連載第3回に引用した判決などを紹介して、ユーザーと話し合うのも良い手かもしれない。

 いずれにせよ、要件定義の役割分担については、「どちらが行うべきであるか」よりも、「どちらが行えるのか」「どちらが行った方が正確で効率的か」を、立場をいったん忘れて客観的に検討することが大切である。

編集部より:初出で判例の「年」を誤って記載しておりました。お詫びして修正いたします(2016/10/18)

細川義洋

細川義洋

東京地方裁判所 民事調停委員(IT事件担当) 兼 IT専門委員 東京高等裁判所 IT専門委員

NECソフトで金融業向け情報システムおよびネットワークシステムの開発・運用に従事した後、日本アイ・ビー・エムでシステム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーおよびITユーザー企業に対するプロセス改善コンサルティング業務を行う。

2007年、世界的にも季少な存在であり、日本国内にも数十名しかいない、IT事件担当の民事調停委員に推薦され着任。現在に至るまで数多くのIT紛争事件の解決に寄与する。


ITmedia オルタナティブブログ「IT紛争のあれこれ」

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